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2008年5月19日 (月)

第24回京都哲学道場#レジュメ

 2008年5月18日に開催された、第24回京都哲学道場は、ぼくが発表者でした。手許に浅田彰の『構造と力』があったので、ざーっと読んでざーっとレジュメ化。今回は情報量が多すぎて、いちいち解説していかないと、レジュメだけ読んでも意味は分からないような作りになってます。しかも、もともとのレジュメにはぼくが大量に図を書きこんでいたのですが、インターネットに公開するに当たってはいちいちアップするのが面倒なので、それらも削除。最低でも『構造と力』を読んだことがないと、こんなレジュメだけじゃなにも分からないと思います。参考までのアップ。

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〔2008.5.18〕京都哲学道場No.24レジュメ/制作:TANI Ro^hei
◆構造主義の脱-構築

≪浅田彰『構造と力 記号論を超えて』(勁草書房、1983.9.10初版)の読書ノートまたはメモ≫

    §1 構造主義のパースペクティヴ
……象徴秩序の成立と解体の発生論的記述。

★1-1 無機(物理)的自然: エントロピーの増大

★1-2 有機(生命)的自然: ピュシス
無秩序の中の秩序的局所系。サンス(意味=方向)に媒介された、有機体と環境世界との相互的・円環的統一。環境世界は〈かたち〉という〈情報〉によってゲシュタルト的に構造化される。
◇ゲシュタルト的構造化(生のサンス)
◇機能的意味(シグナル)に媒介される
◇本能が行動原理
◇生存様式は一方向・一義的

★1-3 人間(錯乱)的自然: カオス
有機的秩序からの原初的なズレ。サンスの氾濫、過剰による恣意性のカオス。シナプスの網目状連結(リゾーム)に基づく、浮遊する情報群の洪水〔レヴィ=ストロース〕。
    【原因】
<1> 大脳の超複雑化
<2> 幼生生殖(ネオテニー)
◇イマージュ的構造化(過剰なサンス)
◇欲動が行動原理
◇生存様式は多方向・多義的

★1-4 象徴秩序の成立
「つねに-すでに」という物語を用いてピュシスを代替する。トーテミスム(コスモス-ノモス構造)が基本。象徴秩序は交換体系であり、言葉・女・物の交換(コミュニケーション)によって再生産される必要がある。
    【象徴秩序の三つの性質】
<1> 恣意性
<2> 恣意性の帰結としての差異(示差)性
<3> 差異性の帰結としての共時性
※必然的秩序が自己同一的、実体的であるのに対し、恣意的秩序は不定的、示差的であらざるをえない。差異の体系が一挙に与えられる必要から、共時性が帰結する。
◇象徴的意味(シンボル)に媒介される
◇プレモダン、スタティック、冷たい社会、ゲマインシャフト

    A 象徴秩序を絶対化するイデオロギー
<1> 交換はつねに-すでに始まっており、起源などない
<2> 交換の起源は環境との相互的・円環的統一であり、その平面的展開である(ピュシス錯認、現象学的世界観)

    B 象徴秩序の実際の発生過程
<1> カオスを背景にした主体間の混乱的・闘争的関係
<2> 絶対他者の中心的・垂直的析出(中心0あるいは場としての0の成立)
<3> 絶対他者への一方的な排除・服従(相互的関係ではない)による、絶対他者を媒介とした象徴秩序の成立(主体間の直接的関係は切断される)
※中心0=神・王・父・法律・ルール

    C 象徴秩序の外部
象徴秩序の殻に収まりきらない欲動(無意識0´)が存在する。象徴秩序は外部と相互作用する(安定したコスモス-ノモス構造に、回収されないカオスが侵犯してくることによる、象徴体系全体の再編・再活性化)。
    【相互作用の種類】
<1> 0´を0化して崇拝する: カオスのコスモス化
→宗教、ファシズム
※制度化されたものでは、聖なる祝祭や外部との交換が挙げられる。カオスを導き入れることによる、象徴秩序の安全弁。
<2> 0´を直視する: カオスをカオスとして対峙
→詩的言語、祝祭的革命〔バタイユ〕

    D 図式への批判可能性
<1> 差延: 安定的な象徴秩序への疑義
※中心0を経由することによる遅滞、共時性の破れ。
<2> 脱-構築: 象徴秩序から発見されたカオスの拒否
※〈女〉=カオスの決定不能性(ゆらぎ)による脱-構築。

★1-5 象徴秩序の解体
局所的象徴秩序の解体。諸象徴秩序間で貨幣が垂直析出される。尺度としての貨幣、時間の成立。カオス、諸象徴秩序を呑みこんでびくともしない差異化様式の成立。人々が貨幣に駆動され(より先へ!)、崩壊(カオス)は先送りされる。祝祭の興奮の不在(日常的祝祭)。
◇モダン、ダイナミック、熱い社会、ゲセルシャフト

    §2 構造主義の〈外〉へ!
……ポスト構造主義による構造主義の脱-構築、すなわち象徴秩序の相対化。

★2-1 二元論から一元論へ
ドイツ思想史の流れと構造主義の流れとを対比しながら、〈構造-外部〉の二元論を〈力〉の一元論へ脱-構築する。
    【二元論(唯我論含む)】
<1> カント: 超越論的観念論
<2> 観念論: 物自体の削除
<3> レヴィ=ストロース、廣松渉: 外部の削除
<4> ヘーゲル: 弁証法的相互作用
<5> バタイユ: 非完結的弁証法
    【一元論】
<6> ニーチェ、バルト、ドゥルーズ=ガタリ、デリダ: 二項対立の〈外〉へ!

★2-2 ドゥルーズ=ガタリの国家論
構造主義的な社会秩序の分析を、ポスト構造主義的に捉えなおす。絶対他者の生成過程(ゲネシス)。
「カオスを矯めようとする力とそれに反発する力の劇」
    【社会秩序の三形態】
<1> コード化: 原始共同体
垂直の力を伝播させる、中心なき運動。
<2> 超コード化: 古代専制国家
近親相姦によって、王は女の交換体系を超越する。
<3> 脱コード化: 近代資本制国家(公理系)
    a 質から量へ
質(象徴秩序における位置)が重視される社会から、量(より多く! より先へ!)が重視される社会へと変化。
    b 絶対他者の内面化
各個人の属領化と、自己債権、自己負債、自己監視による、一定方向への自動運動の回路づけ。中央監視塔と独房からなる監獄(パノプティコン)にメタファーされる。

★2-3 クラインの壺としての近代社会
二元論の終焉としてのクラインの壺。メタレベルとオブジェクトレベルを繋ぐ管により、差異が完結することなく、次から次へと新たなる差異を作り出しながら累積し、それを運動エネルギーに変換して〈より先へ!〉と進んでゆく。
◇日常的な聖祭、均質的な混乱

    §3 近代からポストモダンへ
……きたるべきポストモダン社会の素描。象徴秩序の絶対化でもなく、無目的な疾走でもない、第三の道を求めて。

★3-1 〈虚学-実学〉の脱-構築
虚学(文・理学部中心的、目的的)と実学(法・理学部中心的、手段的)との二分化は脱-構築されるべきである。
「〈聖〉と〈遊〉の相互貫入、全面的没入と自己相対化・同化と異化・ノルこととシラケることの相互的ダイナミズム」

★3-2 不幸な道化から真の遊戯者へ
    【二つの教室の比喩】
<1> 第一の教室: 前-近代
教壇から監督者がにらみをきかせている自習室。監督者の目をかいくぐってイタズラをすることで、生き生きとした〈遊び〉を楽しむことができる。
<2> 第二の教室: 近代
背後から姿なき監督者が監督している自習室。自己の内に監督者が内面化されることで、〈自習〉と〈遊び〉の区別がつかなくなり、遊ぶのではなく遊ばされている(=自習させられている)。
<3> 教室の外へ: ポストモダン
「真に遊戯するためには外へ出なければならない。(中略)しかし、問題は、まだ十分によく外へ出てはいないという点にある。外へ出よ。さらに外へ出よ」
    【不幸な道化と真の遊戯者】
<1> 不幸な道化: パラノイア(妄想病)
〈自習〉と〈遊び〉の区別がつかず、無理に遊ばされている不幸な近代人の肖像。
<2> 真の遊戯者: スキゾフレニア(分裂病)
無制限の脱コード化を生きる真の遊戯者。ニーチェ的な遊戯を生きる聖なる子供。

★3-3 リゾームへ、あるいは砂漠へ
ポストモダン的社会はリゾームによって表現される。真の遊戯の舞台としての砂漠の要請。
「してみると、あなたに残されているのは、ひとまず近代を常ならぬ恐るべきものとして引き受けた上で、その内部で局所的な批判の運動を続けるという困難な戦略だけである。圧倒的な柔軟性を誇る近代のドクサに対し、パラドクサを突きつけてやまぬこと。そのことで、近代社会を貫く膨大な前への流れに微妙な偏曲を生ぜしめること」
「ふたつのレベルの間の決定不能性を、それがもたらすゆらぎを、笑いとともに享受すること。そのことこそがユーモアの条件なのである」

以上

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