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2008年8月28日 (木)

ギャング、時計、ペシャワール会

 日記を書く。

 高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』読了。とりあえず「面白かった」と印象批評しておこう。まあ連作詩ですね。小説のスタイルで書かれているので、一篇々々の境界があいまいな連作詩というところ。「ポップな感性」というのは、ぼくにはどうやっても理解できないもののひとつです。徹底的に海外小説を読まないので、そのせいもあるのかな。

 昨日はニコニコ動画で「独立時計師たちの小宇宙 ~スイス・超複雑時計の世界~」(sm4425094、sm4426395、2008-08-28T22:00:00+09:00 において後半削除済)を観た。二時間モノだったけど観て損はしなかった。直径30mmの空間に宇宙を閉じこめる人々の物語。人間の技術ってときどき無茶苦茶をやるよね。こないだの横浜行きのとき、六年ぶりに飛行機に乗ったけど、雲の上を渡りながら「しかし鉄の塊が空を飛ぶって信じられないよね」と、ずっと考えてた。意味が分からない。なんで飛んでるんだろう。笑うしかない。鉄の塊が空を飛べるんだったら、時計の中に宇宙がつまってるんだったら、明日世界が終わっても全然おかしくない気がする。江戸川乱歩は『鏡地獄』を書いたが、時計の中に入れるんだったら気が狂ってもいいようだ。
 稲垣足穂いわく、「少年少女は過ぎ行かん。天文学と航空術もまた然り。されど、ヰタ・マキニカリス(機械仕掛)は永遠なるべし!」と。

 アフガニスタンで、ペシャワール会の日本人が拉致され、殺害された。第一報をラジオで聴いて、とうとうこんなことにと思った。しかし、ペシャワール会の人だから解放されるだろうと思っていたら、あれよあれよという内に遺体で発見されるにいたった。いったいいま、アフガニスタンはどういうことになっているんだろうか。
 ペシャワール会の活動は前から知っている。現地代表の中村哲医師は、帰国のたびに京都でも講演会をひらいており、ぼくも二三回(なぜか司会席から)講演を聴いた。ペシャワール会のNGO活動は、ゆくゆくは現地の人々がみずからの力で生きてゆけるよう、金品や食料の支援にとどまらない、地に足のついた息の長い技術指導を行うことで知られていた。現地の人々との信頼関係は、支援を行っているNGOの内でももっとも強かったはずだ。それがいったい、どうしてこんな事件にいたったのか。そして情報が錯綜している。詳報が待たれる。
 話は「タリバンの仕業」で一件落着しそうな雰囲気だが、タリバンというのはどこからどこまでがタリバンなのかはっきりしている単純な組織ではないし、彼らの役割というのは「テロの権化」であることだ。与り知らないところで誰かがテロをおこす、するとタリバンが犯行声明を出す。タリバンというのはテロを背負うための社会的機能であるに過ぎない。それを「タリバンという頭の狂った奴らの仕業」だと認識していたのでは、話はなにも先に進まないし、タリバンを殲滅できたところでテロがなくなるわけでもない。いまアフガニスタンでなにがおこっているのかを正しく知ることが大切だ。そして、それをどんな報道機関よりも的確に、現状にそくして伝えていたのがペシャワール会だった。いまさらテレビカメラを抱えて行ったってだめだ。日本で待つしかない。
 それにしても、このタリバンの社会的機能というのはちょっと面白い、というか興味ぶかいもので、たとえば日本の差別を背負って立つはずの部落解放同盟がこんな社会的機能を担えるかというと、まず疑問である。よほどアメリカへの憎悪が渦巻いた混乱した社会でなくては、こんな組織が成立するわけがない。

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2008年8月25日 (月)

寝よ寝よ

 九月いっぱいで京都に帰ることに決めた。畢竟なんだったわけか、自分でもよく分からない。とりあえず疲れてみた、ってな感じかな。文学の岨路を行きあぐねている内、人生の行路を生きあぐねてしまった。どうしたらいいのかよく分かんない。去年から「分かんない分かんない」しか言ってない。朔太郎じゃないけど寝台がほしい。寝台は求められるためだけにあるものだから、ぼくはかりそめの布団でいいや、少し休もう。休んで考えよう。
 せっかく長崎にいるのだから、やはり軍艦島を訪れてから帰りたいと思う。ミクシィと 2ch の情報を綜合して、渡航方法はだいたい把握。しかし、工事の進行がとても気に懸かる(というより、状況としてもはや無理という可能性もあるしね)。

 土日で、腸の調子を崩しながらも『涼宮ハルヒの暴走』だけ読んで、いまは高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』にかかっている。こんな本が存在していたとは、ふしぎふしぎ。ぼくはニューアカブームの八十年代のことなんかなにも知らない。井亀あおいの生きた七十年代はもっと知らない。高野悦子の生きた六十年代はもっともっと知らない。そうして、泉鏡花や森有礼の生きた時代のことなんか、誰も知らない。彼らの使った言葉の意味ひとつとっても宙吊りにされている。宇宙の涯など見たくもない。
 でも、本当はもっともっともっと難しいことがある。それは、人が自己に対し、真に歴史家であろうとすることだ。明治時代のことをよく知っていると言ったら、誰かがちょっとは褒めてくれるかもしれないが、自分自身をよく知っているからといって、誰も褒めてはくれない。自己を学ぶことは世界史を学ぶことよりはるかに困難で、実りない努力。昔の CD-R を外づけ HDD にコピーしていて、小説のヴァリアントやらペイントで作ったらくがきやら、わんさと出てきた。なにを考えていたのか分からない、どうやったらこんな表現になるのか分からない、ファイル名の意味すら分からない。
 それでも繋いでゆくのだとしたら、ぼくはかなしい裁縫職人ですね。
 京都帰ったら胃腸科に行こっと。

 小説の話でもしましょうか。ここ一年ぐらい、自分の小説の話をした覚えがない。自称作家なのに。これじゃ、ぼくがいつのまにか、ヴィオロン職人になるためにヨーロッパに渡ったり、犬を逆さにして壁にかんかん釘打ちする仕事をしていたりしても、誰も気がつかないじゃないか。それはいけない。モチベーション維持のために夢語りは大切です。
 いま構想している中で一番現実性が高いのは、京都を舞台にした芸術家群像的な長編。ふとしたことで謎の創作集団に関係することになった主人公の詩人は、京都のさまざまな場所で現代アート活動を展開してゆくが、やがてその活動の裏にネットを舞台にした魔術師らの暗躍が見え隠れしはじめ、主人公は現代白魔術と現代黒魔術の熾烈な抗争に巻きこまれてゆく……というお話を考えています。ファンタジーじゃないよ? もちろんテーマは、ぼくの大好きなふたりの魔術師、クロウリーと寺山修司。
 そんな小説が書けたらいいな。

 じゃおやすみ。

 追伸:ARUKOBU氏へ
 例の評論の書きなおしですけど、なんか書きあぐねてるのでもう少し待ってくださいね。モチベーション出たら頑張りますー。

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2008年8月22日 (金)

これはタイトルです的な

 長崎の物価は、たいして安いというわけではない。パーキングや路面電車など、交通機関については多少安いようなのだが、たとえば古書にかんしては、どうにも京都の方が安かったように思われてならない。
 近所の漫画メインの古書店。とりあえずメディアワークスのコーナーに行って、鳴子ハナハル『かみちゅ!』の値段を見てみる(いや、読んではないんだけど、最近なんとなく値段の基準にしてるのね)。……350円。うん、妥当だ。400円なら高いし、300円なら安い。漫画にはあまり興味がないので、文字メインの本コーナーに移動。で、ぱらぱらページをめくってみるんだけど、これがまた微妙な値段をつけてくる。岩波文庫で350円~550円が平均。普通の出版社の新書だって、400円以上は当たり前。欲しいと思った単行本には、たいてい定価の六割以上がついている。法政大学出版局には2500円以上がデフォだし、講談社選書メチエでも1000円内外がつけられている。どれだけ書きこみがあろうとも、みすず書房ならそれなりの値段を吹っかける。R.D.レインの本なんか、値段を見る気も起こらない。……いや、妥当だとは思うんだよ? 妥当だとは思うんだけど、なんか釈然としないんだな。
 古本屋の愉しみというのは、やはり掘り出し物を見つけるところにあると思う。特に、BOOKOFFに代表されるチェーンの古本業者なんて、あれは肛門むきだして手招きしてるも同んなじなんだよ、要するに掘れと。もうね、アボガド、バナナかと。なんでこの本が100円なんだよと。新潮社純文学書下し特別作品とかね。「これだからモノの価値の分からん奴は……」などと呟きながら、五冊も十冊もうはうは積みあげるのがうれしいのだ。むしろ策略に乗ってる気がしないでもないが、そこがまさにWin-Winの関係という奴でさ。そこら辺がどうにも。妥当な値段ばっかりつけてくるのも困りものです。
 もうひとつ言うなら、古本屋の愉しみというのは、やはり「出会いモノ」にあるわけで。そりゃやっぱり安いからだよ。定価では手を出す気にならない本でも、あまりにも安いからつい買ってみる。そこから、新らしい出会いというものが現前してくるわけです。ところが、妥当な値段をつけられたんじゃあ、買ってみようという気になるのは、どうせ古本屋で買わずともいずれ買っていただろう作品、ぼくが以前から悉知していて安心して購入することのできる作家、に限定されちゃうわけだよね。そこには出会いの愉しみがない。冒険性がない。郵便的誤配がない。生成についての存在の無垢がない(いやしらんけど)。
 だから、ぼくは声を大にして言いたい。要は高いんだよ。

 最近読了した本は以下。
◇寺山修司『競馬への望郷』(角川文庫クラシックス)
◇清水義範『国語入試問題必勝法』(講談社)
→参考書じゃなくてユーモア小説。ぼくの好きな漫画『受験の帝王』(志名坂高次、講談社)の下敷きにもなっている作品です。
◇永井均『西田幾多郎 〈絶対無〉とは何か』(NHK出版)
◇東浩紀『郵便的不安たち#』(朝日文庫)
→現在絶版につき捜しまわっていた本。やっと見つけて一気に読了。
 現在は筒井康隆・編『'60年代日本SFベスト集成』(徳間文庫)、及びジル・ドゥルーズ『ニーチェと哲学』(河出文庫)を読書中。ドゥルーズは、とうてい日本語とは思えない。おそらく、原文で読んでもフランス語には思えないんだろね。むしろ恐ろしいのは、ぼくがだらだらこの本を読んでいて、それでいて六割ぐらいは意味が通ってしまうこと。なんか「近ごろ毒されてるなあ」感がありありです。
 そういえば、岩波文庫から『明六雑誌』の中巻が出てましたね。岩波書房に「さっさと中巻出して」的なメールを送った手前、これは買わずばなるまいなあ。平野さんの『決壊』も、上巻を読んだまま放り出してるけど、そろそろ下巻を買わないと記憶が無限の彼方に……。
 人間は読書するために生きている。これでいいのだ!

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2008年8月11日 (月)

時計的実存の不安な風景

 ソースは忘れたが、人間というのはよくできたもので、がんらい「思っている時間に起きる能力」を有しているらしい。「あすは六時に起きてください」と告げてから寝かせる実験をすると、ほとんどの人が六時の前後十分で目覚めるという。
 ここ一か月ほど、目覚ましにしている携帯のアラームを聴かない。鳴るより前に目が覚めてしまうからだ。無茶苦茶な生活をしていたころは、睡眠時間も無茶苦茶で、だから自分に定時に起きる能力なんて存在しないものだと思っていたが、そういうわけではなかったらしい。「とにかくアラームを聴きたくない」一心で、目覚ましが鳴る寸前を見計らって目が覚める。アラームで飛び起きるというのは心臓に悪いからね。でも、意識がないのに、誰が見計らっているのだろう。眠っているぼくの中に、どんな理性的存在が隠れているのだろう。
 先日などは、上司にいきなり部屋のドアをドンドン叩かれる夢を見て、驚いて目を覚ましたら「七時二十九分三十秒」だった。「七時三十分」にアラームが鳴るのだ。ぼくは残された三十秒を使ってアラーム機能をOFFにしたが、どうにも空恐ろしい気がして仕方がなかった。
 永井先生の講義を聴きに行っていて、土曜の夜は横浜に泊まった。真夜中、いきなりひどい悪夢を視て、それが何だったのかは思い出せないのだが、物凄く嫌な気分になってベッドに起きなおった。ふと枕元のデジタル時計を見ると「4:44」の表示。もうこうなってくると、すべてが因縁としか思えない。よほど時間に祟られているんだろう。
 寺山修司は実は数秘術師だったのではないかと最近考えているのだが、数字の魔術に囚われているようでは、ぼくもクロウリーみたいな立派な魔術師になるにはまだまだだなあと思う。

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2008年8月 2日 (土)

見当識喪失

 こんな夢をみた。
 地下鉄の駅から、人通りのない、坑道のような薄汚れた地下道を辿った先、小便くさいエレベーターで繋がれた迷路めくマンモス団地のなかに、ぼくは暮らしていた。エレベーターわきの個室トイレは扉の建てつけが悪く、上部にも下部にも隙間が空いている。街や友から逃げ出してきたぼくは、トイレに遮蔽され、時を忘れて大便にふけっていた。やがて女が歩いてきて、エレベーターを待った。女の、染めた髪と鞜の踵だけが、扉の隙間から覘かれた。ぼくは女をながめながら大便を続けた。
 夏休みということで、ぼくは散歩に出かけた。世界は銀色の鱗に包まれたように蒸し暑かった。片側が森になった国道沿いの道をしばらく歩くと、森の中の公園で夏祭りをやっているようだった。公園の入口を入って左へ少しゆくと、見渡す限りの何百人、何千人という子供らが、ソーラン節を踊っていた。「独鈷杵、独鈷杵」「争乱、争乱」という掛け声に合わせ、子供らは一糸乱さず綱を引く恰好をした。そうして、雨かというほどの、瀧のような汗を流して、ずぶぬれなのであった。少女らの乳房が透けてよく見えた。となりに建っている襤褸小屋のなかでは、水道管が決壊し、本当に瀧となって壁から噴き出しているのを、小太りの少女が裸になり、祈るようにして浴びていた。その周りで、小さな仕切りにへだてられ、何人もの少女が足を濡らしながら着替えをしている。さながら西洋画の中の女らであった。ぼくも裸になり、小太りの少女の次に水を浴び始めた。

 崎山ワタル氏と、食事をしながら一時間ほど、俳句だけで会話したのだが面白かった。
「いただきます ごちそうさまのその前に」
「俳句だと意味がなかなか伝わらん」
「肉薄いボリュームはある味普通」
「満足に言葉も交わせぬ二人だね」
「Sさんは喋らなければいいオトコ」
「これはこれはどうもありがとうございます」
「このカップちょっと骨董品っぽい」
「人のもの勝手に売ったら犯罪です」
「おしまいに余韻を残すいい句です」
 など、たまに名句も飛び出しつつ(「いただきます~」はけっこう気に入ってる)、都合三十句ぐらいは吟じたことになるだろうか。
 コミュニケーション不全。言いたいことは言葉にならない。ぼくらはすれ違う、誤解する、間を埋める、意味を圧しつぶす。会話とは、まさにそのような制約を自らの内にひきいれ、ひきうけることだ。ということは、制約こそを自由の条件として担う俳句(定型詩)という形式、それを用いた会話というものは、非常に象徴的なように思われる。コミュニケーションを可能ならしめるためのディスコミュニケーション。そこであきらめの笑いを灯しつつ、われわれは「なにかが伝わる」という期待を捨てきれない。

 長崎の地形は京都からしてみると無茶苦茶もいいところで、ちょっと坂の入り組んだ辺りにくると、もうさっぱり分からない。未だにぼくは、自分の学生マンションのどちらが北なのか、つかめないでいるのだ。
 わが家は丘の上にあるわけだが、そこからまっすぐに出発し、二回直角に曲がればまたわが家に戻ってくるように思われる。普通、A地点を出発し、直線と直角だけで構成されたコースでもといたA地点に戻ってくるためには、三回曲がらねばならないような気がするのだが、二回曲がるだけで戻ってくるとはこれいかなる謂か。
 そこで、地球のことが思い出される。北極から経線に沿って赤道に南下、赤道を四分の一周進んでから北進する。すると北極に戻ってくるのである。これと同じことが、わが家をとりまく坂と丘のあいだで起こっているのではないだろうか。ぼくは非ユークリッド幾何学の街を逍遙する。真夏の霧をかきわけながら……それは本当は花火の烟なんだけれど。
 平行線も、いつか交わるよ。

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