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2008年9月25日 (木)

『新現代詩』第5号、読書記録

 本日、参加している同人『新現代詩』の第5号が手許に届きました。2008年9月秋号、特集は「抒情/うた」で、龍書房刊、156頁のA5版です。ぼくは斐青映士名義で『卒業』という詩を掲載しています(2頁追加の4頁分)。まあ、実はネットで読めるようにもしてあるんですけど。いつものごとく何部か剰ってますので、連絡いただければ格安でおゆずりします。

 それにしても今号、いかにもぼくは空気読めてない感じがします。4頁分を、最小のフォントを使って、殆ど改行のないベタ書きで埋め尽くした纏綿体のぼくの詩は、一見しただけでまわりの頁から浮いていますし、読めば読むほどさらに浮いている気がします。抑もそも、アメリカでもあるまいに、9月に卒業の詩を載せている時点で空気読めてないのは分かりきってることなんですが。
 でももう、空気読むのは辞めることにしました。空気を読んで一つ事をじっくり成すより、空気を読まないでたくさんの事々を放射状に掻きまわしてゆく方が、よほど効率的だと気づいたからです。ぼくと関係する方々は、これからもさまざまな迷惑をこうむってゆくと思いますが、気になさらないでください、ぼくは気にしませんから。

      ×      ×     ×

 読書記録。最近読了した本は以下の7冊。

◆宇賀田為吉『タバコの歴史』(岩波新書)
 煙草文化史の碩学、宇賀多医学博士が著した喫煙史通説書の白眉。新書でありながら、国内にこれだけ文献を渉猟し、事こまかに記された喫煙史の本がかつてあっただろうか。たいへん面白くためになる、次代に喫煙を志そうとする者はすべからく読んでおくべき名著。
 一書は、紀元後最初の百年間におけるマヤ族の喫煙より、大空白時代を経てコロンブスが喫煙習俗を発見してより、新世界から旧世界にもたらされた煙草がまたたくまに世界を席捲してゆく様子を、感情を排した綿密な考証と深い知見とをもって描き出している。よくあるたぐいの、プカプカ紙巻をふかしながら読むような「煙草こぼれ話集」では決してない。この書を読むとき、われわれは襟を正して、紫煙の語りかける歴史に耳をすます必要があるだろう。
 世界史的な視点から煙草の伝播(いかにして地球を一周したか)を論じているが、日本伝来についても他章の数倍の紙幅を費やして論じており、われわれ日本人が読むための煙草史としてもバランスがいい。どの国でも、伝来するやいなや喫煙に席捲され、いかなる禁令をも形骸化させられる、煙草の魔性がよく理解される。惜しむらくは、内容がかなり高度であるため、煙草学の専門家むけのトピックが多く、初めて煙草史に触れるような一般人が読んだ場合、重箱の隅をつつくような議論に多少飽きがきてしまうことである。

◆筒井賢治『グノーシス 古代キリスト教の<異端思想>』(講談社選書メチエ)
 グノーシスについて、おもに紀元二世紀に焦点をあてて論じた書。読みやすい本ではあるが、かなり高度な内容にまで触れている。グノーシスを代表する三派、ウァレンティノス派・バシレイデース派・マルキオン派それぞれの学説を、ナグ・ハマディ文書などの新らしい研究成果を採り入れながら、深いところまで立ち入って紹介している。筆者の主張とそれに基づく各章の構成も、しっかりしていてゆらがない。
 しかし、この本が面白いのは、この本が筒井賢治という著者の本として著されたという事実以前に、まずグノーシスそのものが、とてつもなく面白いからである。ウァレンティノス派の、まるでミステリのように構築された厳密な神話体系。バシレイデース派の、「存在しない神」と「上方展開」を中心にした、アクロバティックなグノーシス思想。それからマルキオン派の、異邦の神からもたらされる神話なき救済。どれをとっても、非常にゆたかな物語の種を孕んでおり、深い思索の海に、この異端思想を学ぶ者たちをいざなってゆくようである。各派の思想の詳細は、ミステリでいうところのネタバレになってしまうから、あまり書きたくない。ぜひとも一度、本書を手にとられることをお奨めする。

◆折原一『遭難者』(実業之日本社)
 コンセプト・ミステリの駄作。読んで損した。
 本作は、ある登山家の追悼集を模した二冊子が函入りになっており、本物の追悼集のようなかなり凝った作りこみになっている。白馬岳周辺の地図や登山家本人の写真(誰?)などが随所に掲載され、母親の手記、事故報告書、死亡届、告別式の弔辞などから、重層的に物語が展開される。この、追悼集だけから成立するミステリというコンセプトは、ミステリ読みなら垂涎のものだろう。でも、それだけである。
 まず、リアリティがない。ミステリを成立させるために、多少追悼集からリアリティが奪われるのは仕方のないことだろうが、それにしてもひどすぎる。折原は叙述トリックを書かせるとかなりの才覚を示すが、文体なんてどこ吹く風のひどい文ベタで、その下手さ加減が本作では白日のもとにさらされている。誰が書いたという設定の文章を読んでも同じ文体で、しかもリアリティがないという意味においても同じだから救われない。いま小島烏水の山岳紀行文集を併読しているが、あまりの落差に情けなくなってくる。そもそもこんな、ひたすら自分が死んだときの山行きについてだけ書きまくられ、他の山行きの思い出がいっさいないような追悼集を、ぼくだったら絶対に作って欲しくない。
 それから、トリックがなくてカタルシスもない。リアリティのなさのせいで雰囲気すら楽しめないのに、トリックひとつなくて救われどころがない。コンセプト・ミステリをコンセプトだけしかない状態で書いたらこうなるという、よい見本だろう。恩田陸の短編集『象と耳鳴り』に、手紙だけで物語が進行する短篇があるが、あっちの方が数百倍面白い。

◆竹本健治『狂い壁 狂い窓』(角川文庫)
 刮目せよっ、これぞミステリ。鬼才、竹本健治の大傑作!
 本作は、あとがきによると、かの名作『将棋殺人事件』『トランプ殺人事件』の水脈につらなる、狂気三部作の掉尾を飾るものであるようだ。以前より名作の噂高く、ときどき探してはいたのだが手軽に入手することができなかった。ちょっと前にノベルスで復刊されたようだが、それとは別に古書肆で見つけ、読むことができた。
 ストーリーは六つの挿話より語りおこされ、樹影荘の住人たちに次から次へと襲いかかる怪異を軸に、複雑な展開を見せる。冒頭の挿話は、それだけで短篇の幻想小説として成り立ってしまうほど完成度が高く、それが物語と重層的に絡み合ってくるのだから、まさに竹本健治の面目躍如、世のミステリファンをして踊り狂わせる筆さばきといえよう。通奏低音をなすのは、神経症的不安と分裂病的恐怖との竹本健治的結合としか表現しようのない、独特の世界様式である。それは、現実を一瞬にしてひっくりかえし、遠いノスタルジィと現在的な分離不安とを融通無碍に飛びめぐる、観念のめくるめく建築を形作る。しかも、ホラーと見せかけてアクロバティックにミステリ的着地を決めてくるから、もうなんとも、けなしようがない。
★以下ちょっとネタバレ的な話★
 244頁で明かされる、くだんの言葉の真相には、ちょっと笑った。
 それから、作中ではいっさい言及されていないが、六組の住人の名字はある法則にしたがっており、そこからひとりの例外を探せば、作中で誰が探偵役にまわるかはおのずと明きらかだと思う。

◆下村努/ジョン・マーコフ『テイクダウン 上』(徳間書店)
◆下村努/ジョン・マーコフ『テイクダウン 下』(徳間書店)

 副題は「若き天才日本人学者VS超大物ハッカー」とつけられている。アメリカで実際にあったハッキング事件をテーマに、情報セキュリティの専門家;下村努が犯人であるケビン・ミトニックを追いつめてゆく経過を描いたノンフィクション。
 期待していたほどには面白くなかった。少なくとも二巻本で読みたいと思わせるにはちょっと残念な内容。帯は「究極のインターネット戦争」だの「今世紀最大のミステリー」だのと煽ってくるが、そんなに大した話ではない。頭脳戦というには地道すぎる。IPスプーフィングの手口を見破ったところがスリリングといえばスリリングだが、そうなると頭がいいのは下村ではなくケビンの方だ。「トム・クランシーとコナン・ドイルが合作しなければ、このような作品は書けない」とあるが、コナン・ドイルにこれだけ地味な作品を書かせるには、トム・クランシーとやらがよっぽど面白くない小説を書く必要があるだろう。
 作者の天才自慢は、巷間にいわれるほどには鼻につかなかったが、ジュリア・メナペースとの恋愛沙汰を削除して、この本を一巻本にして欲しいとはつくづく思った。

◆中沢新一『雪片曲線論』(中公文庫)
 前の日記を参照のこと。

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