« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »

2008年10月28日 (火)

短歌と盗作

 編輯長がぼくからH氏に移って、次の『或』を三たび和歌で出そうという話が出ている。うちの雑誌も、めっきり小説誌から短歌誌に色変わりしてしまったけれど、同人中、ふだんから小説を書くのがぼくだけなのに対して、短歌はみな日常的に詠むのだから仕方がない。そもそも、書道・批評・小説と、分野の違う三人がノリだけで集まったことに端を発する同人なのだから、テイストが無茶苦茶になるのは当たり前というべきか。しかも、小説がかなり低レベルなのに比べ、短歌の水準だけ異様に高いときている(要するに、誰も小説は本気で書いてない!)。
 まあ、そういう話が出ているんだけども、まだ六首しか詠めていません。十一月入ったら本気出す。いや本当に。

 ところで、杉山正樹『寺山修司・遊戯の人』を読んでいて、かの有名な盗作騒動の話が出ていた。第二回「五十首詠」に入選した寺山の『チェホフ祭』が、数首を俳句からの剽窃によっていたというやつである。せっかくなので、現代歌人文庫をひっぱり出して、『チェホフ祭』を読みなおしていたのだが、ふと自分の短歌が寺山の盗作であることに気づいた。

 かみしむる雨音にすらひつそりとふくらみゆきし君のゐさらひ

 これは、ぼくの未発表歌でかなり気に入っているものなのだが、なんと『チェホフ祭』にある次の一首、

 桃太る夜はひそかな小市民の怒りをこめしわが無名の詩

 から、イメージをひきうつしてきてしまっているのだ。ぼくの歌も設定上は夜であり、なんせ「ゐさらひ」というのはお尻のことですよ。無意識というのは怖ろしいもの。
 もともと、上記の歌を作歌したのは、寺山の歌を意識的に盗もうと努力していた時期だった。「雨音」と「ゐさらひ」を対比させようという発想自体が、

 マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

 における「海」と「祖国」とか、

 わが内の少年かえらざる夜を秋菜煮ており頬をよごして

 における「少年」と「秋菜」とかの対比法をどうにか盗んでやれないかなというところからきている。まあ、ぼくの作詩理論は意識より無意識に重点をおく、シュルレアリスム流の自動記述みたいなものだから、無意識的に盗めたのは素晴らしいことだと勝手に自讃しておく。畢。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月17日 (金)

梦幻文庫を分析してみた

「この部屋は埃のデパートと言うより埃の総合商社ですよ!」
    ~梦幻院 について、辻元清美

      ×      ×      ×

 2006年1月爾来、大掛かりな掃除をしたことがなく、もはや亜空間に垂んとしていたわが書齋「梦幻院」ですが、このたび大掃除をすることになり、二週間をかけて部屋全体を解体しました。現在は山場は過ぎて、再び物をつめこみなおす段になっています。
 そして、またとない機会でありますから、事の序でということで、ぼくの個人蔵書「梦幻文庫」のデータベース化を決意しました。いまやっておかないと、もうとうてい自分の蔵書を全体的に把握することは能わざるべしと思ったからです。ピックアップしたのはタイトル・著者・ステータス(未読/読書中/既読)の三項目。一般図書についてはジャンルの分類も加えました。これらの情報をエクセルで表にします。書痴なら誰もが夢み、挫折する、蔵書の完全把握という一大事業、ぼくはとうとうこれを成し遂げたのでありました。
 せっかくなので、蔵書の内わけを分析してみることにします。

    【梦幻文庫概観】

◆全蔵書:1444冊

 畳三畳分のスペースにつめこめる量としては、ほぼ限界値でしょう。

◆内わけ
  漫画部門:257冊
  文芸図書部門:716冊
  一般図書部門:471冊

 漫画が思っていたより多いです。文芸図書(小説・詩・エッセイ)が一般図書(その他の本)より多いのは、作家志望なので当たり前。

◆ステータス
  未読:297冊
  読書中:259冊
  既読:888冊
  既読率:61.50%

 事前予想としては、既読率は五割程度のものだろうと思っていたので、まあよかった。

    【漫画部門】

 適当に挙げてゆくと、原律子5冊。
 喜国雅彦6冊。
 つげ義春7冊。
 福島聡は10冊で、好きだと公言してる割には少ない。
 エロ系だと花見沢Q太郎で14冊。
 エヴァ関係(フィルムブックとか)が24冊。エヴァは一般図書部門にも7冊あるので、合計すると31冊ですね。
 そして、ダントツ一位が高橋葉介の43冊でした。
 他にも、多く蔵書のある作家はいるわけですが、たいてい一シリーズの漫画を集めているだけなので書きません。

◆ステータス
  未読:6冊
  読書中:1冊
  既読:250冊
  既読率:97.28%

    【文芸図書部門】

 また適当に挙げてゆきます。泉鏡花5冊。
 篠田節子と銀色夏生が6冊。
 長野まゆみ、エラリー・クイーン、有栖川有栖、小松左京が7冊。殆ど読んだ記憶もない小松左京が、どうして7冊もあるんだろう。
 稲垣足穂と笠井潔8冊。タルホはもっとあって欲しかった。
 太宰治と寺山修司9冊。そして屈辱の清涼院流水9冊。
 コナン・ドイルと麻耶雄嵩が10冊。
 平野啓一郎と島田荘司12冊。平野さん、こんなに本出してたっけか? 島荘は、どちらかというと嫌いな部類なのだが、なんとなく読んでしまっている。
 三島由紀夫と村上春樹が13冊。純文学のランクインはこの辺まで、あとは殆どをミステリが占める。
 京極夏彦14冊。読んだ文字の量ならきっと一番だ。
 星新一15冊。昔読んだなあ。
 竹本健治17冊。
 森博嗣19冊。なんだかんだでキライではナイ。
 芥川龍之介20冊。アレ? ……いえ、全集を所有しているだけです。そして綾辻行人20冊。あまり作家として評価はしないんだけど、新本格の成立にはたした役割はすなおに認めざるをえない。
 そして、ここから一挙に冊数が飛んで、文句なし、恩田陸が31冊。予想と違わず恩田陸一位で終了……と思ったのです。
 豈はからんや、大番狂わせがありました。筒井康隆32冊、なんと一位に躍り出た。え? 嘘でしょ? そんなに読んだ覚え、ないんだけどなあ。どっからわいてきたものやら、出るわ出るわ、筒井康隆が山ほど出てきました。ぼくは、筒井は主要長編をかなり飛ばしていて、おもに短篇集ばかり読んでいたのですが、それでも31冊。こりゃ魔法ですか。
 まあツツイならいいや。

 なお、文芸誌のたぐいは読まないため殆どありません。複数の作者が適当に書き散らした小説を連続して読んでゆくという作業が、苦痛で仕方ないのです。基本的に、作者依存でモノを読むタイプですので。

◆ステータス
  未読:181冊
  読書中:96冊
  既読:439冊
  既読率:61.31%

    【一般図書部門】

 一般図書はバラバラに読んでいるため、特徴的な著者が殆どいません。永井均の11冊と中島義道の21冊が群を抜いています。あとは、超自然現象の分野で、UFO^2シリーズとネオパラダイム・アスカシリーズをそれぞれ読んでいた飛鳥昭雄の12冊かな(なんとまあ)。
 ジャンル別に見てみると、「哲学」の125冊がまず多いです。「社会科学」の96冊も多いですが、こちらはサブジャンルに細分化されており内実がはっきりしたジャンル区分ではありません。「社会科学」のサブジャンルとしては、「少年問題」(学校問題や少年犯罪)の30冊、「差別論」の24冊が目につくぐらい(それにしたって、差別論を書くつもりなら、この冊数は少ないですね)。
 「歴史」36冊。
 「自然科学」35冊。
 「言語学」20冊。
 「芸術>文学」15冊。「芸術>画集」9冊。「芸術>写真集」5冊。
 なんにしても、たいした品揃えとは言えませんね。

◆ステータス
  未読:110冊
  読書中:162冊
  既読:199冊
  既読率:42.25%

 マジメに読んでないので、五割を大きく割りこんでしまいました。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2008年10月 8日 (水)

京都造形大連続講座レポ

 本日(10月7日)、京都造形芸術大学大学院の連続公開講座(2008年度後期開催)の第1回に行ってきました。浅田彰が大学院長に就任したとのことで、以前ニュースになってましたが、「アサダアキラ・アカデミア」と銘打って、中沢新一やら柄谷行人やら、それっぽいメンバーが列記されてます。初回の特別講師は東浩紀でした。ゼロアカ参加以来、釣針にひっかかったみたいにズルズル追ってしまってるのがなんか嫌。

 17時20分ごろ造形大に到着してみると、もう教室にはかなりの人がおり、17時50分の開始前後には満杯寸前の大入りでした。おしゃれな大学生・院生っぽいのが多いのは造形大ゆえか。しかし年輩の方もけっこういて、来ている層がイマイチよく分かりませんでした。生浅田を見るのは初めてだったのですが、小顔で小柄という印象。あずまんはいつも通り。
 テーマは「社会契約と『動物化』――オタク的公共性のゆくえ」というもので、大塚英志と共著の『リアルのゆくえ』(未読)にひっかけてるらしいです。この本のなかで「公共性」という概念について根本的なスレ違いがあったそうで、それが今回の講演の中心ということでした。
 講演の前半は、動物化という用語とそれをめぐる文脈の簡単な解説に費やされました。そして、この対立軸「スノビズム‐動物化」に、最近の「規律訓練‐環境管理」という対立も導入されます。規律訓練(フーコー)とは、厳罰化や倫理教育などによって、個人の内面を律することで秩序を守ろうとする考え方。しかし、動物化した社会状況では環境管理(そもそも犯罪を犯せる可能性がなくなるように環境を管理する)の方がふさわしいのだという話です。
 そして、公共性をめぐる対立ですが、これは言論の空間という意味での公共(大塚)と、公共財(灯台とか道路とか)という意味での公共(東)とのスレ違いで、前者の公共性は回復不能だが、後者の公共性はむしろ動物化した社会からこそ生成しうるのだ、ということでした。人文科学的認識が意識的に知を体系化することが不可能になっても、グーグルやSNSによって新らしい形での無意識的な知の体系化が進行しているし、そこにしか発展はない、と。で、そういう社会を理想した、ひきこもり=動物化したルソーの著作として『社会契約論』を読める可能性があるんじゃないか、という示唆でしめくくられました。

 このへんの文脈はよく分からないのですが、浅田彰と東浩紀は、8月に熊野大学で再会するまで9年近いブランクがあったそうで、そこらも踏まえると、ふたりの応酬の言外にするどい火花が散っていたような気がしないでもないですがそんなこともなかったような気もします。まあ、それこそ決定不能性って奴でしょうからどうでもいいですけど。しかし、東浩紀の、機関銃的早口であり、かつ整然と構成された講演には、多少圧倒されました。あと、光の加減だか、浅田彰をジッと視る眼がちょっと威嚇的で怖い(ように見えた)。

 せっかくなので質疑もしてきました。たいしたことのない質問しか考えつかなかったので、やめとこうかと思ったんですが、あまり手を挙げる人がいなかったんで。所属と名前を述べてということだったので、「京都哲学道場所属の谷口です」と言って宣伝までしてきました。
 思いついた質問は二点。動物化を追認するのに環境管理の点においては「犯罪者にICチップを埋めこむのは個人的に反対」というのはなぜか? という本筋から外れた質問と、動物化した社会は公共財を生成するというが、グーグルが情報を体系化するのは分かるが、そこからどうやって灯台ができるのか? という前提的な質問。
 前者は、理論的には反論できないが、可逆的措置なら肯定するも犯罪者に不可逆的変化を加えるのは、現状では危険があるように思える、とのこと。後者は、経済学者にきいてくれとのことで、浅田先生にお答えいただきました。まあなんにせよ、複雑な関係があってそこから複雑な仕方で公共財が生成されるということです。人間の生死をにぎる役割というのも複雑に重層化していて、だからネットというレイヤーを掌握したところで世界の政治というレイヤーを動かすことはできないし、そういう意味で支配層としてのエリートは存在しない、という話もありました。
 くだらない質問に時間を費やして悪かったかなとも思いましたが、他の質問もたいした内容のものがなかったので、まあよかった。

 以上レポ。次も行くかどうかは分かりません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »