文学的理性のこと
このごろ考えたことをまとめてみる。
このあいだ、新文学ustを拝見していて、ディスコミュニケーションがどうたらという内容の会話を聴きながら、本当のディスコミュニケーションをひしひしと感じさせられていた。それは、間‐理性的なコミュニケーション(ディア=ロゴス)がいかに不可能であるかという、その断絶のふかさを思い知らされたからである。批評するロゴスは、もちろん島宇宙への自閉を破り、全体性を目がけてゆくような理性なのであるが、このような理性は、ただに批評だけの所有するものではない。哲学もまたそうだし、じつは文学もそうであろうと思う(ぼくの「批評」批判の眼目は、文学もまたそのような理性であるという点に存する)。このことが、まったくと言ってよいほど理解されなかった。すなわち、批評は、みずからのロゴスに対峙して立ちあがってくるような理性の可能性について、あまりにも想像力が欠如しているのである。ロゴスの異質性を超えた間‐理性的コミュニケーションの本当の難しさは、この点にあるのではないだろうか。
批評に対する哲学の他者性というのは、島宇宙同士の他者性(多言をもちいるほどの他者性とも思えないのだが)などよりも、もっとずっと超越的な他者性である(しかし完全に超越的であるわけではない)。哲学と批評とのコミュニケーション不全は、島宇宙への自閉を破り、全体性を目がけてゆくような理性同士におけるメタ・レヴェルの対立、つまり複数の全体性のあいだにおけるメタ・コミュニケーション不全なのである(批評するロゴスは、すでに「複数の全体性」という表現を誤読しているだろう)。永井均のタームでは、哲学するロゴスとは省察的理性(真理の全体性を目がける理性)のことであり、批評するロゴスとは解釈的理性(価値の全体性を目がける理性)のことである。そして、解釈的理性にとっては、みずからのロゴスに対峙して立ちあがってくるあらゆるロゴスは、もうひとつの解釈的理性であるとみなされがちである(だから「複数の全体性」という表現もまた「複数の“価値的”全体性」として誤読されてしまう)。この意味で、解釈的理性に対して省察的理性は超越的である。もっとも、「真‐善‐美」という組み合わせが伝統的に用いられてきていることからして、この三項の対立が理解できる以上は、完全に超越的である筈はないと思う。ここで、文学(藝術)的理性を「美の全体性を目がける理性」として位置づけたい。すると、こうなる。
【世界に対する理性のありかた】
○哲学するロゴス=省察的理性=真理の全体性(独我論的?)
○批評するロゴス=解釈的理性=価値の全体性(政治的?)
○表現するロゴス=文学的理性=美の全体性(A感覚的?)
【共通点】
○なんらかの全体性を目がけていること
○論理の言葉を用いること
批評するロゴスに対して哲学するロゴスが超越的他者であるのと同様に、批評するロゴスにとっては表現するロゴスもまた、超越的他者なのではないか、というのが、ぼくの批判である。すなわち、批評は美を価値として誤読することによって成立する。たんに美の全体性を目がけるような理性のありかたを、批評は掬いとることができない(先述の通り、完全に超越的ではないので、ちょっとは掬いとれているかも)。
哲学するロゴスと批評するロゴスとが対立しうるのは(つまりぼくがこんな文章を書かなくてはならなくなった理由は)、文学を媒介項として立てることができて、文学をめぐって両者が対立できるからではないだろうか。すなわち、真理と価値とは美(エロス)から全体性を補給しなくては存立できないのかもしれない。ここで真理を独我論的なものとして、価値を政治的なものとして考えると、瞬間性と歴史性とが美を媒介にして橋わたしされるというわけだから、稲垣足穂=オスカー・ベッカーの「美のはかなさ」論と同じ話になってくる。しかも、哲学と批評との両者に対して文学は他者なのである。文学的理性は実作によってしか、みずから表現者となることによってしか、掬いとられることはない(作者が死んでいたら小説は書けないのです、誰がなんと言おうと)。
さてはて、間‐理性的な言説空間(ロゴスをコミュニケートするようなディア=ロゴス)は構築可能なのだろうか。そもそも、三種類の理性の出自を洗う作業が、ここまでないがしろにされてきた。これらロゴスの異質性は、いかなる基盤によって与えられるものなのか、そしてそれぞれのロゴスを特徴づけ、語りうるような言葉は成立できるか。「論理の言葉」がキー・ワードになりそうな気がしている。少なくとも、論理的瑕疵を駁論することによる間‐理性的コミュニケーションは常に可能であるからだ。このところ数年来、ぼくはいつでも「論理」というアポリアに立ちもどってしまう。それからもうひとつ。美の全体性とはなにか。それは「世界をデザインする」ということと、どんなかかわりがあるか。この点についても、おいおい考えてゆきたい。
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