雑記 20090816
オフラインでの活動情報、二点。
まず、すでに何度か告知していますが、松平耕一氏の『新文学』02号のこと。本日(8月16日)のコミックマーケットで販売される予定とのことです。ぼくの手許にも近い内に届きます。A5版、180ページ、700円だそうです。みなさん、ふるってご購入くださいませ。
特集「ゼロ年代の六十八選――二十一世紀文学史へ」に対して、ぼくは【哲学】をテーマに「哲学と批評のディア=ロゴス」(6865文字)という文章を寄稿させていただいております。小説とかライト短歌とかも入って、なかなかヴァラエティーゆたかな誌面構成になっているようですよ。
当日会場に行けない方のために、ネット通販もなさるということです。現在もご予約承り中だそうです。下記のリンクからどうぞ。
なにはともあれ、松平さま、大変お疲れさまでありました。
◆松平氏のブログの告知ページ
→http://literaryspace.blog101.fc2.com/blog-entry-415.html
◆文芸空間社購買部
→http://matudairayamame.cart.fc2.com/
それから、マイミクの高田ひとし氏が、演劇情報フリーペーパー『とまる。』というものを発行されていらっしゃるのですが、その2009年夏号(現在、京都各地で配布中)に、『シリーズ:ハムレットマシーンvol.2/儀式』に対する推薦コメントを書かせていただいております。タイトルは「ぼくが目撃したハムレットマシーン」。330字ちょっとの短文で、内容は前回公演である『シリーズ:ハムレットマシーンvol.1/告別』を観劇した感想ということになります。まだ配布されていらっしゃると思いますので、見かけたら手にとっていただければと思います。
『シリーズ:ハムレットマシーンvol.2/儀式』は、8月21日から23日にかけての公演ということで、構成・演出を高田さんが手がけておられます。ぼくも観劇しに行く予定です。会場は「アトリエ劇研」というところだということです。詳細情報は、下記リンクから tabula=rasa の公式サイトを参照してください。
◆『とまる。』の情報
→http://tomarumaru.web.fc2.com/about.html
◆tabula=rasa 公式サイト
→http://tabula-rasa.jp/
個人的な感想ですが、最近、自分からお金を払わなくても文章を書ける機会にめぐまれることが多く、とてもうれしいです。
○
たまには「教えて!goo」で質問してみたりだとか。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5208507.html
ちなみに、なにを考えていたかというと、平方数のことを四角数とも言いますよね。これは、点を正方形にならべると個数が平方数になっているので、そう呼ぶのですが、これを次元方向に拡張して、立方数、正八胞体数などを考え、その一般化としてのn次元γ体数を作って、その増え方の規則性を考えていたのでした。
○
現在、めずらしく小説など書いています。原稿用紙換算で34枚まで書けていて、これで六割方といったところ。二年半前から構想していた短篇で、新版を書きはじめてからもすでに四か月経ってます。まことにのろのろと書き進めています。最初から書きなおした回数も数え切れません。どうしてこう、一文一文に時間がかかるのか分かりません。どう書いてみても、自分が理想とする文体には程遠い気がして、今日書いた文章を明日には破棄してしまうので、全然話が進まないのです。とても疲れた。でもまあ、ここまでこの調子でなんとかやってきたのだから、やれるだけやってみようと思います。
こんなんじゃ、長篇なんか、とても無理ですね。文章の作り方からして、本質的に、ぼくは短篇しか書けないんじゃないかとも思います。
短篇ということで、梶井基次郎。新潮文庫の『檸檬』を読んだのが五年前のことで、このほど再読しています。再読していて、とても驚いたのは、自分でもまったく気がつかなかったのですが、ぼくが梶井の文体からかなりの影響を受けていたということ。よくよく考えてみると、『檸檬』を読んだ中学三年のころ、ぼくは来る日も来る日も文体修練にあけくれていて、とにかく読んだあらゆる文章から技術を盗もうとしていたのですね。だから、小説のストーリーはちっとも覚えていないのに、漢字の使い方とか、文章のリズムとかが、自分がこれまで書いてきた文章とそっくりで、びっくりしました。特に顕著なのは『ある心の風景』や『Kの昇天』などで、『Kの昇天』を読み出して、この文章はぼくが書いたんじゃないだろうかと思えて仕方がない。ここまで文体というものが読んだ作家から受け継がれるものだとは思ってもみなかった。一度しか読んでいない文章を、ここまで脳細胞の襞が記憶しているものだとは……。
丸善京都店の閉店が2005年10月10日で、『檸檬』の作中に出てくる果物屋「八百卯」も、今年に入って閉店しました。ぼくが初めて紙媒体に書いた小説は、某学文藝同好会会誌『漣』十一号に掲載した『パンプキン・パイの応酬』で、2005年の発行。当時、お世話になっていたF先生から「お前の小説は、梶井みたいな観念小説になってきたな」と評されたのを覚えています。『檸檬』はいろいろと、思い出ぶかい一冊です。
初心に帰り、文体修練を続けてゆきたいと思います。ぼくにとって小説を書くとは、文体修練をすることであって、ストーリーを作ることではないのです。
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コメント
お久しぶりです。
小説、完成したら是非拝読したいです。
私も小説が書いてみたいですね。いつも書く手前で構想だけで終わってます。
来月は一人芝居に挑戦です。友人の遺作を基に脚本を書きました。このジリジリと迫ってくる不安と孤独感が実に小気味良いです。
投稿: あおい | 2009年8月19日 (水) 23時49分
どうも、お久しぶりです。
>小説、完成したら是非拝読したいです。
そうおっしゃっていただける方がひとりでもいらっしゃると、励みになりますね。ありがとうございます。
今作は、ネットで一般公開するかどうかは迷っているのですが、いずれにせよ、当方のメールアドレスを晒すなり何なりの方法で、あおいさんには読んでいただけたらと思います。なんにしてもまだ出来ていませんから、出来たときにはブログを更新して報告させていただきますね!
>来月は一人芝居に挑戦です。
あおいさんの方も、いろいろとご活動なさっておられるようで何よりです。どういう感じの作品なのでしょう。一度拝見させていただくことができたらなあと思うのですが。小気味良い不安と孤独感とをその場で体験することができたらいいのにと思います。
いろんな方が、いろんなところで活動をやっておられて、みんなどんなことをやっているんだろう、何を考えて創作しているんだろうということに、とても興味がありますね。
投稿: itikun | 2009年8月20日 (木) 11時46分
ご配慮、ありがとうございます。それでは、小説の完成を楽しみにしております。
私の一人芝居は全くの素人芝居です。今日、知り合いの役者に稽古を見てもらいました。あんたがやるには、難しいじゃないかいと、役者に甘さを非難されました。所詮、素人、別に何をやっても許される。そんな言葉だけに甘えるのも嫌だし、かといって己の未熟さを言い訳にして引きこもりたくもないしと気持ちは複雑です。
9月13日、福岡市内の屋根裏貘という喫茶店でやります。
創作とはなんて孤独な作業でしょうか。
貴方の創作に対する原動力は何ですか?
投稿: あおい | 2009年8月22日 (土) 01時22分
人前で発表できるというのは、とても素晴らしいことだと思いますよ。どうもぼくは、演劇や音楽など、一瞬を共有するタイプの芸術はよく分からないところがあって(形が残らないと不安なのです)、にもかかわらず、どこか惹かれる気もするのですね。機会があったら、詩の朗読なんかに挑戦してみようか、などと思ったりしています。
原動力……とても難しいご質問ですね。分からない、というのが正直なところですが、なんとなく考えていることを、あえて書いてみると、こんな感じです。
つまり、創作とは自分に伝えるものだということです。ですが、自分に伝えるということが、じつは一番難しくて、それは他者への伝達という形式を借りて、その形式を研ぎ澄ましてゆくことでしか達成されないと思うのです。あるいは、創作とは自分へ差し出された手紙であって、その宛て先としての来たるべき自分を発見してゆく作業だと言えるかもしれません。この作業は、確かに、本質的に孤独なものなのだと思います。
分かりにくい言い方でしょうか? 気障っぽいでしょうか? 言葉にしてみると、途端に嘘くさく感じられてくるものですね。
投稿: itikun | 2009年8月22日 (土) 17時50分
創作に対する原動力の問いに関して、貴方らしいお考えだなと思いました。創作が自分に伝えるためのアクションであるなんて、考えてもなかったことで、息を呑むような驚きを感じました。私のような者が哲学を語るガラではありませんが、哲学とは自己を掘り下げ、深く凝視して本質を突き止めていく学問のようですね。
私なんぞは浅い自意識でアップアップ溺れいる人間に他ならないな。それでは、また。
投稿: あおい | 2009年8月23日 (日) 21時27分