◆仏語侮辱 都知事への請求棄却
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いわゆる「差別表現」というものにもいろいろあって、特にこの事例では、対象を明示しない一般的な差別表現の合法性が認定された形である。しかし、おもしろい。なにがおもしろいと言って、このようなタイプの差別表現が合法であると認められた判例が前にもあり、しかもその判例も被告が石原都知事だったということ。彼もこりない人だねえという気がしないでもないが、少なくとも裁判所の判断は正しい。
前の事例というのは、石原都知事の「ババアは有害」発言事件である。ご存知の方も多いだろうからディティールははぶくけれども、この事例では地裁判決、高裁判決共に名誉毀損の成立を認めなかった。2005年2月24日の東京地裁の判決文では、名誉毀損が成立しない理由を次のように述べている。
「なぜならば、不法行為の被侵害利益としての名誉とは、人がその品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的な評価、すなわち社会的名誉を指すものであって、名誉穀損とは、この客観的な社会的評価を低下させる行為のことにほかならない。そうすると、被告の第一発言は、「生殖能力を失った女性」ないし「女性」という一般的、抽象的な存在についての被告の個人的な見解ないし意見の表明であって、特に原告ら個々人を対象として言及したものとは認められないから、被告によってこのような個人的な見解ないし意見の表明があったからといって、それにより「生殖能力を失った女性」ないし「女性」についてはもとより、原告ら個々人についての社会的評価が低下するという道理もないし、現にそのような事実があったと認めるべき証拠も存しないからである」
石原都知事の発言が妥当かどうかはともかく、法律の現場において、この判断は明らかに妥当であったと思う。
名誉毀損の構成要件を確認してみよう。刑法230条には次のようにある。
「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する」
ババア発言事件も今回の事件も民事訴訟であるが、基本的に不法行為が成立していることを前提として、謝罪と賠償を求めているわけであって、拠って立つところの大部分は刑法における名誉毀損罪である。法文にいうところの「人」には、法人や権利能力なき社団なども含まれるらしいが、ババア発言事件における石原都知事側の主張にもあったように、東京都民や九州人というのは漠然とした集団であって、とうてい構成要件が充たされているとは言いがたい。逆に、もしこういう対象に対しても名誉毀損罪がなりたつのであったら、どんな混乱が起こるかを考えてみれば、一目瞭然の話である。
民事訴訟において勝つためには、不法行為によって保護法益が侵害された、ということが立証されなくてはならない。保護法益が侵害されていても、その行為が不法でなかったらだめだということ(もっとも、保護法益すら侵害されてないけどね)。こういう意味で、違法化というのはおそろしいことなのである。人権擁護法案がもし通ってしまったりしたら、かりに罰則がなかったり微々たるものであったとしても、民事訴訟のための足がかりを与えることになる。これは非常によろしくない(何度でも言うけど、人権擁護法案いうところの人権は決して人権なんかじゃない!)。
そもそも日本国憲法第14条、法の下の平等が不法行為の成立根拠になるのではないかとお思いかもしれない。もちろんだめである。憲法は生半可に私人間に適用することはできない。憲法とは、本来、国民の生活を保障するために国家を規制するものであって、あそこで述べられていることは国家‐国民間の契約事項なのである。もう言いたくないが、逆に考えて、もし適用できるとしてみるといかなる混乱を惹起することになるか……ああ、いやだいやだ。
まあこういったわけで、むろん請求は棄却されることになったが、一歩間違っていたらたいへんな事態を招きかねない判決だったのである。現代日本では、常にこういった危機意識を持っていなくてはならない。いたずらに政治的立場にくみするつもりはないが、表現の自由を守るために言ってゆくべきことは言ってゆかねばならない。いくら某団体の勢力が弱まっているからといって、しょせんこの国で表現の自由なんてものは風前のともし火にすぎない。
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