19日に9冊、本日1冊、本を買い込んだ。内分けは下記の通り。
◆19日、ブックオフにて。
三島由紀夫『音楽』(新潮文庫、100円)
寺山修司『家出のすすめ』(角川文庫、100円)
中島義道『ひとを愛することができない』(角川文庫、100円)
『高橋和巳コレクション2 森の王様』(河出文庫、100円)
高原耕治『虚神』(沖積舎、500円)
◆19日、新本屋にて(すべて定価)。
永井均『翔太と猫のインサイトの夏休み』(ちくま学芸文庫)
京極夏彦『百器徒然袋 風』(講談社文庫)
西尾維新『クビキリサイクル』(講談社ノベルス)
三谷直之・米田聡『パソコン・ネットワークの仕組み』(サイエンス・アイ新書)
◆本日、新本屋にて(定価)。
『スタイルシート辞典』(翔泳社)
上掲書中『虚神』と『パソコン・ネットワークの仕組み』はすでに読了。以下の読書記録でまとめて扱う。
購買理由を以下。
三島の『音楽』は、三島由紀夫ならなんでもよかった。文学全集や三島由紀夫短篇全集で、未読の三島は何冊かあるのだが、文庫本はやはり読み易い。寺山修司と中島義道は、未読書をブックオフで見つけたらなんでも買うことにしている。高橋和巳コレクションも、そもそも我が家に『全小説』があるわけだが、文庫本の扱い易さゆえに購入。高原耕治という人の(多分自由律)句集『虚神』は、造本が非常に立派なこと、沖積舎刊であること、ぺらぺらめくってみると怪しい匂いが芬々と漂ってくること、などの綜合理由で購入。大当たり。
京極夏彦は一日千秋の思いで文庫化を待っていた。『邪魅』も早く文庫化して欲しいのだが、当分先だろうね。永井先生の本は、まさか文庫化されるとは思ってもみなかったから、話を知ってびっくりした。無論すかさず購入。西尾維新は来月の読書会の課題図書。『パソコン・ネットワークの仕組み』は、IPアドレスの仕組みや自宅サーバーなどに興味があるので。
本日購入した『スタイルシート辞典』は、ウェブサイトの再構築計画があるため、お勉強。正しい文法で書かれたXHTMLとCSSを使って、一からサイトを作りなおしたい。いつのことになるやら分からないが。
現在(おもに)読書中の本は以下の数冊。
『スタイルシート辞典』(上記)
奥浩平『青春の墓標』(文藝春秋)
井上清『日本の歴史 中』(岩波新書)
E.H.カー『歴史とは何か』(岩波新書)
ルソー『孤独な散歩者の夢想』(新潮文庫)
まだ読んでるんですよ、ルソー。たしか半年前ぐらいにも読書中と書いたように記憶してるけど。
以下、読書記録。読了は全6冊。
◆井上清『日本の歴史 上』(岩波新書)
そんなに時間を掛けずに読める日本通史の中では有名な本で、高野悦子も読んでいたよう。上巻は、原始時代から鎖国までを扱う。マルクス主義史観(共産党的史観?)一色。つまりは、日本史を、権力が支配者の手中から人民の下へ移ってゆく過程として読解し、生産力の発展がいかに生産関係を変革してきたかということの、ひとつの事例として提示するわけ。
正直、意想外に面白かった。理由は、史観が確立されているからだ。教科書的歴史、つまり一定の史観が存在しない受験的事実の列挙としての歴史に慣れていた者にとっては、たとえマルクス主義史観だろうとも、史観のある歴史というものが目新しく映る。史観があるから、歴史をダイナミックに解釈することが許されているし、実際それに成功した通史だと思う。それゆえ頭にも入り易い。
◆福永武彦『海市』(新潮社純文学書下ろし特別作品)
スランプの中にある画家が旅先で知り合った女性と関係を持ち、そこから泥沼の不倫に入りこんでゆく話。文庫版は500ページくらいということで、原稿用紙換算で何枚になるのやら知れないが、やや長め。しかし著者の力量ゆえか、あまり長いとか退屈とかは感じなかった。今も昔も不倫ものは沢山あり、言っちゃ悪いがストーリーそのものの中には新しい要素がひとかけらも加わっているわけではない。プロットには妙があり、著者が平均率クラヴィア曲集に倣ったと言っている通り、いくつもの恋愛が過去と現在を飛びまわりながら多重的に奏でられている。
文学的主題は「現代において恋愛は可能なりや?」である。この「現代」が戦後という意味での現代であることには注意すべきで、少なくともわれわれの生きる「現代」ではない。現代の恋愛を描ききったという意味で、文学的に価値があるんだろう。しかし、ぼくはそんな理由でこの本を読んだのではない。ぼくはただ、久しぶりに純文学を読んで「ああ、やっぱり純文学っていいものですね」ということを確認したかっただけなのだ。まこと、純文学は滋味があって「いいもの」であった。
◆永井均『なぜ意識は実在しないのか』(岩波書店)
シリーズ哲学塾の一冊。永井先生の最新刊ということで、当然購入。「はじめに」を読んだ時点でびっくりした。「本書において表現された思想が真理であることは侵しがたく決定的である」と、誰あろうこの人がおっしゃるわけだから。しかもシリーズ哲学塾で、なおかつこの薄さで。たしかに、そろそろ「侵しがたく決定的な真理」をつかんでもおかしくない時期にある日本唯一の哲学者だとは思っていたけれど。『論考』のウィトゲンシュタインであることはあとから分かった。どこかで見たことのある言いまわしだなとは思っていたのだが……。
というわけで、相当の期待を持って叮嚀に読んでみたが、やはり「第三日」あたりは難しい。感覚としては、永井哲学の現時点までの展開の総決算といったもので、新しい切り口を導入しつつ、体系的な記述がなされている。正直、永井均の哲学書はかなり難解なので、テーマが同じでも切り口を換えてもらえると、いろんな方面から理解できてとてもありがたい。『メタフィジックス』や『比類なさ』よりは平易な記述になっていたと思うが、しかしこの本から入門していたらやはり理解しにくかったろうと思う。流れをつかむということも、やはり重要。
読後に「自我論終わったな」と思った。もしかしたら「心の哲学終わったな」の方が正確かもしれない。「はじめに」にあったURLから講演も聴いてみて、時間との対比が時間論固有の領域を拓くわけではないということをおっしゃっていて、驚いた。言語的側面以外の、時間論固有の領域というのはどんなものなんだろう。同じことは自我論固有の領域についても言えるわけだけれど、自我論は終わったんだろうか、ここから始まるんだろうか。
とりあえず『翔太と猫のインサイトの夏休み』を挟んで再読してみたいと思う。この本はきわめて重要なことを言っており、十全な理解のために努力する価値のある本だと思うからだ。しかし、哲学の領域であるにもかかわらず、この「正しさ」はなんなんだろう。どうしてこの本はこんなにも真理だとしか思われないんだろうか。中島マジックならぬ永井マジックなのかなあ……。
◆竹本健治『腐蝕』(角川ホラー文庫)
前まえから名作だとの噂高い、竹本健治のホラー長編。『闇に用いる力学 赤気篇』と共に、長いこと積ん読にしていたが、さいきん古典や評論ばかりで、現代小説分(糖分とかの「分」です)が不足している気がして、にわかに読んでみる気になった。竹本健治はなにを書かせても抜群に面白いから(というより抜群に感覚が合うので。恩田陸などもこの理由だが、恩田陸の場合は当たり外れがある)安心して読めた。
ストーリーは、詳しくは述べないが「よくある」パターンであり、よくあるパターンの小説を読者を飽きさせずに読ませるためには、技量が要求される。竹本健治にはこの技量が充分にそなわっていて、恩田陸もよくある超能力少女モノを見事に描いたりしている。そして竹本健治は、ミステリ界に「文体」の概念を確立したんじゃないかというくらい、文章が巧い。現代において、もはや明治の文豪のような文体を使うことができないとなると、求められる新しい文体として、ぼくの場合は竹本健治か京極夏彦かということになる。そもそもぼくの文体は京極夏彦を基礎にしているわけだし。まあ他にも、いくらでもいるけどね、筒井康隆とか村上春樹とか、文章の巧い現代作家。でもベストセラー作家の文章のほとんどはゴミであるというのも事実。平野啓一郎も、このごろは森鴎外の憑依霊を除霊して、現代作家の文体として見るべきものを作りあげたようだ。
話が飛びまくっているが、倉橋由美子の文章の巧さは異常。パルタイなど、数篇の短篇しかまだ読んでいないが、なんというか、小説ではなく文体を読んでいる思いがする。玉石には瑕疵があってはならないし、小説は一行たりとも腐っていてはならないのだ(何度でも言うよ)。村上春樹『風の歌を聴け』の冒頭は「完全な文章というものは存在しない、完全な音楽が存在しないのと同じようにね」(ソースが記憶なので曖昧)であるが、これはぼくの一番嫌いな言葉だ。にもかかわらず村上春樹は好きである……。
ちなみに、こんなことを書いては竹本先生に悪いかもしれないが、この『腐蝕』、面白かったが、あんまり怖くはなかった。ちなみに、過去読んだ中でもっとも怖かったホラー小説は、恩田陸『MAZE』である。
◆『パソコンネットワークの仕組み』(上記)
この本、綜評としては、役に立った。しかしながら、少々誤植が目立った点を差し措くとしても、やはり分かりにくいね。帯に「これ以上やさしく書けない」とあるが、もし本当にこれ以上やさしく書けないのであれば、ぼくは一生掛かってもパソコンネットワークなんて理解できそうにない。あるいは、帯の文句に憑拠して、こう言ってもよい。「やさしく書くことと、たやすく理解できることとは違う」と。
分かりやすすぎることは、時に理解の邪魔になる。たくさん例を挙げてくれるのはよいが、その例がどこまで比喩になっているのか、よく分からない。厳密を求める人間としては、図解はいらないから定義を列挙して欲しいと思う。そもそも紙幅が足りていないんじゃないか。分かりやすくすればするだけ長い文章になるのは自明の理で、この薄さで「分かりやすく」なんて、ほとんど「割愛だらけですよ」と言っているようなもんじゃないか。
以上のような不満にかかわらず、この本は役に立った。なぜなら、ぼくはまったく詳しい理解を求めておらず、大筋さえ理解できれば要が足りたからである。「なるほど、IPアドレスは全世界の共通財産という位置づけにあり、JPNICが各ISPに割り当てているので、個人はISPからそれを借りて使わないといけないんですね」これで充分。
◆高原耕治『虚神』(上記)
購入理由は上記した。家に帰ってから、またも著者贈呈本であることに気がつく。しかも、著者直筆で贈呈の文句があり、贈られた相手を検索してみると、差しさわりがあるといけないので名前は書かないが、こちらもどうも斯界の有名人のよう。書痴としては貴重な一冊が手に入ったということでほくほくものだが、ブックオフに売られた事情が気になるところでもある。
さて、この自由律句集『虚神』であるが、もしかしたら一部では有名な本なのかも知れない。ただ、定価もISBNも表示がないので、私家版の可能性あり。なんだか分からないが凄まじい本。この凄まじさを分かっていただくには、数句引用してみれば簡単だろう。
「されど 眞晝の
大花火
脊椎 を
カンブリア紀がわたる」
「眞空の
あばらをば組まむ
泥蜩の
泥の朝」
「わたしを濡らし
母
熟れゆけり
干潟の燕」
俳句の歴史についてはとんと無学だし、自由律運動の現代的意義もよく分からないのだが、とりあえずこの一冊には鬼気迫るものがある。雰囲気としては吉田一穂の詩に似てもいるが、ぼくにとって彼の詩は無意味な単語の羅列にすぎない。それに比べて、この句集はすなおに面白い。
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